妊娠・出産

NY出産体験記~第1子編~

アメリカでの妊娠・検診に関する情報をお伝えしておりますが、自身の記録目的もあり、実際の出産体験を皆さんにシェアさせて頂きます。アメリカでの出産や無痛分娩について書いていきますので、是非読んでみてください。

入院前のこと

4000g超え!?!?計画分娩を予約した経緯

初産は予定日より遅れることが多い(科学的根拠なし??)と言われてますが、私の場合も予定日になっても陣痛が来ません。

ちょうど予定日にエコー検査の予定があり、検査専門の医師からの衝撃の言葉が・・・

「赤ちゃんが11ポンド(4082g)を超えてるかもしれないから、陣痛促進剤での出産をオススメするわ。主治医に連絡して病院の予約をしてもらいなさい。」

この時のお腹の大きさがこちら↓

妊婦友達と比較しても、一番大きい私のお腹。
会う人みんなにTwins?って聞かれます(注:一人しか入ってません)

4000グラムって産むの大変じゃんとショックを受けつつ、主治医は休みで電話が繋がらず、留守電にメッセージを残し、返事を待つことに。

翌日 主治医からメッセージがあり、
「11ポンドは全然心配ないから、私は陣痛促進剤を使っての出産はオススメしない。12ポンドまでは大丈夫。」(12ポンドは5.6キログラム)

主治医の5キロ越えまで放置宣言に怖くなった私は、頼み込んで2日後の朝6時に入院する予約を入れてもらいました。

当日のベッドの空き状況は既に陣痛が来ている方や急患を優先させるため、計画分娩の妊婦はベッドの空き状況を自分で確認してから病院に向かうことになっています。

入院の2時間前に電話で確認するということで、朝6時入院予定の私は朝4時(!?)に電話しなければなりません。

前日は早めにベッドに入ったものの、緊張してあまり眠れませんでした。

出産の記録

入院当日

午前4時 病院に電話

予約当日の朝4時、ドキドキしながら病院に電話したところ、「今は混雑していて、ベッドに空きがないの。こちらから連絡するから自宅で待っていてください。」と。

二ヶ月前に出産した友人も似たような経験をしているので、ある程度は予想していたものの、拍子抜け。二度寝しようにも、いつ電話がかかってくるか分からずドキドキして眠れません。気分転換に出掛けるわけにもいかず、ソワソワしながら自宅で過ごすことに。

午後1時 再度病院に電話

昼頃に再度問い合わせをしましたが、まだベッドはいっぱいとのこと。これは明日になるのではないかと思い始め、心が落ち着いてきたので少し仮眠をとりました。

午後5時 病院から電話

明日早いかもしれないから・・・と、夕飯の支度をしていたとき、突如電話が鳴り響く!!「ベッドの空きが出来たから今から来て」明日のつもりで落ち着いていた私の心臓がバクバクしだしました。

午後6時半 病院へ向かう

シャワーを浴び、夕飯をタッパーに詰め、おにぎりを持って。立ち合い分娩希望の主人とUberで病院へ向かいます。夕方のマンハッタンの渋滞も、陣痛が来ているわけではないので緊張感ゼロ。「帰りは赤ちゃんと一緒に車に乗るんだなぁ・・・」などと賑やかなマンハッタンの街を眺めながらのドライブ。

午後7時過ぎ 病院へ到着し受付

病院に到着したのが夜7時過ぎ。

受付で問診票を書いていると、女性のスタッフから呼ばれました。私だけ来るように言われたので不思議に思っていると、「この出産はあなたが望んだものですか?」「パートナーからDVを受けていませんか?」「産まれた赤ちゃんは自宅に連れて帰りますか?」という質問を受けました。アメリカらしいなぁと思いました。

午後8時過ぎ 病室【LDR】へ

ようやく病室に通されました。

病室は【LDR】Labor Delivery Recoveryの略で、陣痛・分娩・回復をすべて一つの部屋で行うことができます。

入院着に着替えさせられ、血液検査の採血をし、点滴をしてもらいます。おなかに腹巻を付けられ、間に心電図の時に使うようなシールと5センチ角の機械が差し込まれました。モニターというらしく、これで陣痛が来ているかどうか計測するそうです。

バースプランもこの時に確認しました。

★病室【LDR】紹介★

私が撮ったパノラマ写真はこちら。結構広いです。

一番左に移っている椅子は、付き添いの人用の椅子です。フルフラットになるため、夜中は寝れるし、長期戦になってもゆっくりくつろぐことができます。無痛分娩ならではですよね、妊婦が痛がっているときにフルフラットでくつろがれたら間違いなく喧嘩になります。

赤ちゃんが生まれたら寝かせて処置する場所、準備万端の状態にドキドキします。

寝転がって見やすい位置にテレビがあって、いつでも見ることが出来ます。

午後9時 モニター確認と方針決定

医師が病室に来て、モニターのグラフを確認。私は気が付いていませんでしたが、陣痛が少しずつ始まっていたらしい(生理痛みたいな痛みはあるなぁと思ってたけれど)。しかし、まだまだ弱いので、第一段階としてバルーンを入れることになりました。

先に出産していたマタ友に、無茶苦茶痛かったと聞くあのバルーン。医師から麻酔のタイミングを聞かれたので、バルーン前にお願いしました。

この日は出産する人がたくさんいたとのこと(←ベッドの空きを待ってたから知ってるw)、麻酔科医が忙しく、しばらく待つように言われました。

暇なので、テレビでも見て過ごします。

ちょうどダルビッシュ投手が出てました。

夜10時頃? 夫婦で寝落ち

そして・・・気が付いたら夫婦で寝落ちしておりました。

午前2時 麻酔開始

LDRで寝落ちしてしまった私たち。午前2時、気持ちよく スヤスヤ眠る夫婦の部屋にガチャガチャと金属の音をたてながら二人の男女が入ってきました。

気持ちよく寝ていて、病院にいることも忘れかけていた私はこの時点で若干パニック。男性がガラガラと押してきた給食の配膳台のようなものの上に乗っているのは美味しい食べ物であるはずもありません。

すごく太い針がありました・・・まさにアイスピックのような。

見るんじゃなかった・・・後悔するのももう遅い。

そして麻酔医が早口の英語で、硬膜外麻酔のリスクについて説明され、サインを求められました。主人も私も寝起きで完全に英語スイッチがOFFになってたこと、針をみてパニックになってしまったので、半分くらいしか理解できません。

理解しきれていないところに、麻酔医と助手に急かされ、さらにパニックになり泣き出してしまいました。助手になだめられ、「打つも打たぬもあなた次第、打たない場合は麻酔なしでバルーンいれることになる」その言葉で決意しました。

ベッドに浅く腰掛け、正面に立たされた主人の両肩に両手を置いて、エビのように背中を丸く・・・いわれる通りにポーズをとりました。腰のあたりに消毒液を塗られ、その消毒液に麻酔が含まれていることに気が付いてからは覚悟を決めました。(麻酔なしでアイスピック腰に打たれるわけないのに・・・それほどパニックだったんです。)

アイスピックの太さのストロー状の針からチューブが挿入され、針は抜かれました。背中にチューブを固定されたので、その後は横になってすごせます。

午前3時 バルーン挿入

子宮口を開かせるためのバルーンを挿入しました。麻酔が効いているため、全く痛くありません。

その後は部屋の電気が消され、朝まで寝て過ごしてくださいと言われました。

午前7時 起床(進展なし)

緊張しているので、眠りが浅いのか7時には目が覚めました。今入っているバルーンは第一段階である4センチまで開かせる小さめのもので、子宮口が4センチ以上開くとバルーンが自然と落ちる仕組みになっています。何度かナースが見に来るのですが、全然進展なし。

午前9時 のんびりすごす(進展なし)

妊活中のお友達のために赤富士を書いたり、ネットで日本のテレビを見て過ごしました。麻酔のおかげで陣痛の痛みが全くありません。

午前11時 ラズベリーリーフティーを飲む

ナースが見に来るけれど、バルーンが落ちる気配はないそうです。つまり子宮口の開きはまだ4センチ未満。「今日中には生まれないでしょうね、気長に行きましょう。」とアドバイスされます。

お産を軽くすると言われているお茶、ラズベリーリーフティーを飲んだり、ヨガで習った呼吸法(鼻から大きく息を吸って、鼻と口からはぁーーーーっとため息のように息を吐きだす)を10回×3セットやりました。

午後3時 子宮口9センチ

ナースが見に来てびっくり、なんとバルーンが落ちていました。私も一切気が付かず、一体いつ落ちたのでしょう・・・。

そしてすぐさま医師が呼ばれ内診したところ、すでに子宮口が9センチ開いていました。

麻酔が効いているため9センチの喜びのポーズで記念撮影をする余裕がありました。

午後3時半 子宮口全開

子宮口が全開であることが確認され、急に部屋が騒がしくなります。

今まで寝ていたベッドのお尻のあたりから下が取り外され、足を置くステップが引き出されます。

部屋にいる医療関係者は、医師2人とナース2人、医師の1人は研修医のようでした。

午後4時前 分娩開始

旦那さんが分娩に立ち会う場合、旦那さんはどこにいると思いますか?枕元に立って手を握ったり腰をさすったりして、奥さんを励ます姿をイメージされるのではないでしょうか(医療ドラマのような・・・)。ここ、アメリカでの立ち会いは日本とは全く異なります。
旦那さんは奥さんの片足を担ぎ上げるのです。見ようと思えば、赤ちゃんが徐々に出てくるところだって見れてしまう位置です。

というわけで、私の左足を旦那が、右足をナースが担ぎ、医師の指示の元、分娩開始です。

麻酔のおかげで痛みはほとんどないので、淡々といきんでは休みを繰り返します。医師の「(赤ちゃんの)黒髪が見えるわよ!」の言葉に、旦那が「金髪じゃなくてよかったよ。」と冗談を返して、医師もナースも笑うという何とも和やかな雰囲気のお産。そして、私も痛みがなくて無駄に余裕があるので、手鏡を医師に手渡し、自分のオマタを映し出し、赤ちゃんの頭が出てくるところをリアルタイムで観察してしましました(笑)

午後4時半 誕生

午後4時39分、無事にこの世に誕生いたしました。体重は3640グラムと大きめではあったものの、当初の想定4000グラムに達していませんでした。

午後4時半から 産後の処置開始

4時39分に息子が産まれた後、私の会陰の縫合処置や、胎盤の排出などがありました。裂けてしまった会陰を縫われる私の足元では、同時に息子の処置が行われています。

チューブで羊水を吸われたり、体重・身長・頭囲を測られたり、足形をとられたりしていました。

私のお腹がすごく大きかったことをお伝えしましたが、排出された胎盤がとても大きいと看護師から告げられたので、あのはち切れそうなおなかの原因の一つは息子の大きさと胎盤の大きさだったのではないかと思っています。

午後9時半 部屋に移動

午後9時半、2人部屋の病室に移動しました。

この時点でも、まだ片足が動かないまま・・・医師は問題ないと言っていたのですが、正直少し不安でした。

日本では無痛分娩はマイナーで、医師の経験不足などが原因で異常時に適切に処置が行われず、母体や赤ちゃんが下半身不随になったり亡くなってしまうという痛ましいニュースを見聞きします。しかし、ここアメリカは8割以上の方が無痛分娩を行うため、医師の経験値がすさまじく、その点においては安心感がありました。

(入院の部屋について)

私が入院したのは2人部屋、1人部屋もありますが、なんと一泊900ドルも追加で支払わなくてはなりません。出産時の入院期間は2泊3日なので、追加で1800ドル、およそ20万円の追加です。

午後11時 主人が帰宅

LDRとは違い、夜間主人が寝れる場所はありません。付き添いやお見舞いの人がいる場所はごく一般的な椅子2脚です。そのため11時に主人は家に帰りました。

午後11時半 尿道カテーテル挿入

産後は割と早い段階で尿道カテーテルが外され、各部屋にあるバスルームで用を足すことになります。しかし、麻酔の影響か、長時間カテーテルを入れられていたせいか、なかなか自分でおしっこを出すことが出来ません。尿意もあまり感じないのですが、カテーテルを外された5時頃から6時間以上も出していないので、看護師から何度もトイレは自分で行けたかと聞かれます。

しかし、全然でないので、再度尿道カテーテルを入れて尿を出すことになりました。初めに入れたときは麻酔が効いていてなんともなかった尿道カテーテル、とにかく激痛でした、しかも7針縫った会陰に触られるし、最悪な経験でした。もう二度とこんな思いはしたくありません。

夜中 赤ちゃんと部屋で過ごす

赤ちゃんとの初めての夜、さっそく4時間おきの授乳が待っています。授乳して、おむつを替えて、たまに私の熱や血圧をチェックしに看護師がやってきました。子宮がもとの大きさに戻るための後陣痛もあり、痛み止めを3時間おきに服用していたため、あまり眠れませんでした。

今考えれば、ナーシングルームに赤ちゃんを預けることもできたのですが、第一子でずっと一緒にいたいという思い、預けたら赤ちゃんに申し訳ないという思い、そして預けるのが不安で、ずっと赤ちゃんと一緒にいました。

これはお母さんの気持ちが最優先だと思いますが、夜間はできるだけナーシングルームに赤ちゃんを預けて、快復に努めたほうが良いというのが私の見解です。(第二子出産時は母乳をあげるときだけ連れてきてもらい、私はひたすら寝ていました)

知り合いの日本人夫婦の話ですが、病院を出ようとしたところ、お母さんが病院の玄関で倒れて再度入院。ただ、既に出産に関する退院手続きが済んでしまっているため、赤ちゃんを病院に滞在させると別料金が発生するとのこと。お父さんが一人で赤ちゃんを連れて帰り、お母さんは一週間入院。その間お父さん一人で赤ちゃんの世話をしたそうです。

(入院中にしなければならないこと)

入院中には赤ちゃんのお世話以外に必ずしなければならないことがあります。退院前に病院に提出する【Birth Certificate(アメリカの出生届)】の手続き書類を記入しなければなりません。SSN(ソーシャル・セキュリティー・ナンバー)カードもこの手続き書類で同時に発行されます。
Birth Certificateは、アメリカで生まれたこと=アメリカ国籍を持っていることを証明する超・重要書類です。パスポートの発行や学校に入学する際に提出を求められますので、必ず提出し手続きする必要があります。
退院まではたったの2泊3日、あわただしい中で書き終える必要があるため、赤ちゃんの名前はあらかじめ決めておく(もしくは候補を絞っておく)ことが必須です。

午前8時 主人合流

病院の説明資料に午前10時までに退院するように記載があったので、午前8時には主人が来てスタンバイしていました。

午後4時 退院

赤ちゃんの検査、追加検査で予定の午前10時を大幅に上回って退院しました。

アメリカでは退院時に必ずカーシート(日本で言う、チャイルドシート)を持参する必要があります。自家用車でもタクシーでも、適切なカーシートを用意し、また赤ちゃんがカーシートに安全に乗れていることを確認されてからでないと退院できません。

車に普段から乗る人は必須アイテムですが、自家用車のいらないマンハッタン住まいでは、カーシートをどう準備するかは悩みの種です。今回はたまたまお友達から借りれたので、助かりました。有償でも病院がレンタルしてくれたらいいのに。

私たちはUberで帰宅、カーシートを付けるのが初めての私たちは手こずってしまいましたが、お子さんが4人いるという年配の運転手さんがやってくれたのでラッキーでしたが、説明書などで事前に確認していくことをお勧めします。

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